屋久島の愛。

昨日夜遅く、久しぶりに豪雨が降った。
バケツをひっくり返したような、という例えがぴったりの、大粒で大量の雨がだばだばと降った。
すべてを押し流してしまうような、激しくたっぷりの雨。
私はこの雨が好きだ。
屋久島ではこういう降り方は珍しくないけど、夜布団の中で半分眠りながら聞くその音に、「ああ、こういうのも東京へ行ったらもうないんだな」と少し寂しく思った。

明けて今日はぽかぽかの春そのもののお天気。
昨夜の雨は春のお知らせだったのかもしれない。立春。

大雨のあとは川が増水して滝になり、もともと滝のところはさらに迫力を増す。
河口には流木が流れ着く。

久しぶりに大川の滝に行った。
河口で流木を少し拾ったあと、大川の滝の真ん前の岩に腰掛ける。
滝にはちょうど太陽の光があたって虹ができていた。

腰掛けた位置はあまりにも滝に近過ぎて、滝を見るというよりは、滝に包まれるという感じになる。

そこで私はしばらく目を閉じていた。

滝の音、水しぶき、風、むんとした匂い、それらが混じり合ってひとつになって大きく大きく私の意識は広がっていった。

自分が一体何を感じているのかどれぐらいたったのかもわからなくなったとき、ふと目を開けると、目の前にある滝は私だった。
とてつもない大きさで包んでくれるそれは、滝であって滝でなく、私であって私でなく、なんとも例えようのない大きなものだった。
それは言葉にしてしまうと、「愛」とか「神」とかいうものだけど、そういう手あかのついた言葉でおさめてしまうような事ではなかった。

わけもなく涙がどんどん出て来た。
その例えようのない大きなものは、ますますやわらかく包み込むように広がるようになった。

「ああ、私は屋久島を体験したんだ。」と思った。

流木を拾ったり、おいしい水を飲んだり、山の静けさを体験したり、人と人の温かさを体験したり、体の調子を崩して辛い思いをしたり、ものすごい雨に打たれたり、家がカビだらけになったり、季節のおいしいものをいただいたり。
たくさんの経験を屋久島は与えてくれた。

そういう、「出来事」や「モノ」や「言葉」で表せるようなものはもちろんだけど、今感じたのは、そういうことじゃない。

私は、「屋久島」という、無理矢理言葉にするならば、「愛」とか「神」を体験したのだ。

それは「私」という枠を超えたものまですっぽり包み込むように広がるように在って、ただただ無償の愛をくれている、というのか・・・。

私は今回、屋久島を離れて東京に行く事に、未練はないけれども心のどこかで少々引け目を感じていたのかも知れない。
たった2年間で島を離れてしまうことになり、こんな短期間では一体屋久島の何がわかったというんだろう、、とか、
あんなに熱望して屋久島にやってきたのに、もう方向を変えてしまうのか、とか。

でも、今日大川の滝で体験したその「屋久島」という「愛」は、そんな事を超えていた。
時間や出来事で計れることじゃないんだと。

ただただ、「屋久島」という「愛」は無償で私を包み込み広がり、そこにあり、島を離れたからそれが無くなってしまうようなものではないのだと。

それは最初からあって、終わりのあるようなものではないんだと。


私は滝の前で、感謝というか、なにかもう例えようのない気持ちがどんどん溢れていった。
それは屋久島と一体になっている愛の感覚そのものだった。
屋久島全体へ、そして屋久島を超えたところまでずっとずっと包み込んで広がっていった。

と同時に、屋久島を離れる事がすっきりと了解できた。
そして今度は堂々と東京で暮らしていくのだと。

目に見えること、言葉で語れること、肉体で体験すること、記憶に残ること、
それだけじゃないんだ。
人は、もっともっと大きなものにすっぽり包み込まれ広がって生きているのだと。


こういうのを、「ぽめろん」って言うんだよね。笑。


ぽめろ〜〜〜〜ん。涙。
屋久島、ありがとう。また遊びに来たいよ。
そして、東京、よろしくね。
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by tsunagumono | 2011-02-05 16:51 | 日日


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