自分が世界とわかれるとき

一年前ぐらいに言葉が出始めたRちゃん、
今では「粘土やる」「お弁当食べたい」など、二語文をかなり話せるようになってきたのだけど、先日、
「Rやる。」
と、自分の名前が主語になった文を初めて話した。

それまでも「○○ちゃんやる。」など、お友だちの名前を主語にして話す事は頻繁にあった。
自分が人から「Rちゃん」と呼ばれる事や、
お友だちが存在するように、自分というものも存在するということとか、
そういういろんなものごとの関係が結ばれ始めたって事なのかしら・・・。

誰もが通る通過点なのだけど、そこに居合わせた私にとってそれは、とても衝撃的な瞬間だった。
「自分」が世界と分かれていく、一つの瞬間のような。
無から現れ出た赤ん坊が、世界をどうやって分別し認識していくのか、大きな謎をかけられたような瞬間だった。
しばらくすると今度は名前ではなく、「わたし」という呼び方を覚えていくのだろう。

先日Rちゃんと同じ年の男の子が「オレ」って言うのを聞いたときもまた、かなりの衝撃だったけども。
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by tsunagumono | 2014-02-22 19:39 | 子ども


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