感動大安売り

感動話とか泣ける話とか酷い話とか、世の中にはたくさんあるけれど、そういううたい文句のものには疑ってかかる。
疑ってかかるなんて、ひねくれているかもしれないし、実際ひねくれているけど、
人とディープに関わる仕事をする者として、いや、この仕事に就く前からずっと、
わかりやすい物語をそのまま受け取らない感性というのは大切にしなければいけないものだと思ってる。

誰々がこうしてああ言って笑顔になった。などの常日頃のエピソードに対して、
第三者が早合点で勝手な解釈や、わかりやすい物語を与えて安心してしまってないか、
それは本当に当事者の気持ちを汲んでいるのか、
という事に、私たちはいつも気をつけていないといけないなあと思っている。

私自身、たとえば仕事場で、子どもたちの言動の裏にある心を一体どれだけ理解して接しているのか。
笑顔ひとつとっても、本当に喜んでいる笑顔なのか、不安解消のための笑顔なのか、それともまったく状況とは関係なく完全に自分の空想の世界の笑顔なのか。とか。

見立て違いだったと気づかされる事も多々あるし、気づかないままいってしまってる事もそれ以上に多々あるかもしれない。
誰か他の人が、全くの勘違いで子どもに接している姿を見る事もある。

こういう物語であってほしいという曇ったレンズを外し、できるだけ透明になって相手の事を感じつつ、同時に情の通うやりとりもしていきたい、という、大変に至難な事をしようと日々奮闘している。
自分の解釈の甘さも知っているだけに、常に自分自身や、世の中の多数の解釈を疑うという事をしていきたい。

それは、逆に言えば、この世界を信頼してるってこと。
感動する物語なんて与えなくても、もっとその奥にはありのままそのままの、繊細で多様な驚きや悦びが満ちている事に触れる経験もたくさんしてきたから。
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by tsunagumono | 2014-02-18 19:43 | 日日


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