ひとつひとつ。

引っ越しまでのあと残りわずかの日々、

ひとつひとつ、あじわう。

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ひとつひとつ、贈りものを開けて確かめるように。

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今日もとてもあたたかな一日でした。

春田浜でお昼寝をしました。

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# by tsunagumono | 2011-02-06 21:35 | 日日

屋久島の愛。

昨日夜遅く、久しぶりに豪雨が降った。
バケツをひっくり返したような、という例えがぴったりの、大粒で大量の雨がだばだばと降った。
すべてを押し流してしまうような、激しくたっぷりの雨。
私はこの雨が好きだ。
屋久島ではこういう降り方は珍しくないけど、夜布団の中で半分眠りながら聞くその音に、「ああ、こういうのも東京へ行ったらもうないんだな」と少し寂しく思った。

明けて今日はぽかぽかの春そのもののお天気。
昨夜の雨は春のお知らせだったのかもしれない。立春。

大雨のあとは川が増水して滝になり、もともと滝のところはさらに迫力を増す。
河口には流木が流れ着く。

久しぶりに大川の滝に行った。
河口で流木を少し拾ったあと、大川の滝の真ん前の岩に腰掛ける。
滝にはちょうど太陽の光があたって虹ができていた。

腰掛けた位置はあまりにも滝に近過ぎて、滝を見るというよりは、滝に包まれるという感じになる。

そこで私はしばらく目を閉じていた。

滝の音、水しぶき、風、むんとした匂い、それらが混じり合ってひとつになって大きく大きく私の意識は広がっていった。

自分が一体何を感じているのかどれぐらいたったのかもわからなくなったとき、ふと目を開けると、目の前にある滝は私だった。
とてつもない大きさで包んでくれるそれは、滝であって滝でなく、私であって私でなく、なんとも例えようのない大きなものだった。
それは言葉にしてしまうと、「愛」とか「神」とかいうものだけど、そういう手あかのついた言葉でおさめてしまうような事ではなかった。

わけもなく涙がどんどん出て来た。
その例えようのない大きなものは、ますますやわらかく包み込むように広がるようになった。

「ああ、私は屋久島を体験したんだ。」と思った。

流木を拾ったり、おいしい水を飲んだり、山の静けさを体験したり、人と人の温かさを体験したり、体の調子を崩して辛い思いをしたり、ものすごい雨に打たれたり、家がカビだらけになったり、季節のおいしいものをいただいたり。
たくさんの経験を屋久島は与えてくれた。

そういう、「出来事」や「モノ」や「言葉」で表せるようなものはもちろんだけど、今感じたのは、そういうことじゃない。

私は、「屋久島」という、無理矢理言葉にするならば、「愛」とか「神」を体験したのだ。

それは「私」という枠を超えたものまですっぽり包み込むように広がるように在って、ただただ無償の愛をくれている、というのか・・・。

私は今回、屋久島を離れて東京に行く事に、未練はないけれども心のどこかで少々引け目を感じていたのかも知れない。
たった2年間で島を離れてしまうことになり、こんな短期間では一体屋久島の何がわかったというんだろう、、とか、
あんなに熱望して屋久島にやってきたのに、もう方向を変えてしまうのか、とか。

でも、今日大川の滝で体験したその「屋久島」という「愛」は、そんな事を超えていた。
時間や出来事で計れることじゃないんだと。

ただただ、「屋久島」という「愛」は無償で私を包み込み広がり、そこにあり、島を離れたからそれが無くなってしまうようなものではないのだと。

それは最初からあって、終わりのあるようなものではないんだと。


私は滝の前で、感謝というか、なにかもう例えようのない気持ちがどんどん溢れていった。
それは屋久島と一体になっている愛の感覚そのものだった。
屋久島全体へ、そして屋久島を超えたところまでずっとずっと包み込んで広がっていった。

と同時に、屋久島を離れる事がすっきりと了解できた。
そして今度は堂々と東京で暮らしていくのだと。

目に見えること、言葉で語れること、肉体で体験すること、記憶に残ること、
それだけじゃないんだ。
人は、もっともっと大きなものにすっぽり包み込まれ広がって生きているのだと。


こういうのを、「ぽめろん」って言うんだよね。笑。


ぽめろ〜〜〜〜ん。涙。
屋久島、ありがとう。また遊びに来たいよ。
そして、東京、よろしくね。
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# by tsunagumono | 2011-02-05 16:51 | 日日

東京へ引っ越します。

ツイッターでつぶやいてるけど、改めてお知らせします。
もうすぐ東京に引っ越します。

1月のはじめに仕事を辞めたところだった。
それから夫の個展で一緒に東京へ出発した。
その時は、こうなるとは思いもしてなかったんだけど・・・。

この約20日間のうちに、そうなった。
思い立ってすぐに家も決めてきて、2月23日から東京生活スタートです。
東京と言っても23区内じゃなくて、ずいぶん西の方にあるとある市。
川が目の前に流れ、ランニングやサイクリングする人たちが見える最高の眺望の4階です。
歩いて10分のところにはプロユースの画材屋や自然食品店や食材専門店、そして様々な公園もあって、まさに私たちのの為に用意されたのだなという物件。
目下引っ越し準備中。


引っ越す事を知らせると、人それぞれ、十人十色な反応が返ってくる。
それぞれの人が、私たち夫妻や屋久島、そして東京に対するイメージをそれぞれに持っているからそれは当たり前だと思うしそれで良いと思う。

夫は夫で理由があるだろうし、私には私の理由がある。共通の理由もある。
そして、東京で暮らそう!という思いが一致した。
夫も私も、人生短いんだから、やりたいときにやりたいことやろう!てタイプだ。
屋久島へ越した時もそうだったし、今回もそうだ。
心がそうなったら即行動のタイプなので事はスムーズに進む。

でも、実のところ、なぜ東京に引っ越すのか、私自身理由はよくわからない(笑)。
何故だかうまく言えないけど、確信なのだ。
こういうのって、自覚できている理由なんてほんのこれっぽっちで、
そんなのをはるかに超えた大きなはからいみたいなものがあるんだと思う。


うまく書けそうにないけど、とりあえず自覚していることは覚えのために断片的に書いておこう。

*選択できる自由。
*とにかくクリアだった。生々しかった。
*軽やかでキリリとしたバイブレーション。
*新陳代謝、循環、通り抜けが良くて澱んでいない。
*幅も深さも広い。多次元の感覚に包まれる。
*他の土地は色にたとえると色だけど、東京は色でなくて光だと感じた。
*大勢の多種多様なおもしろい人が暮らしている。各界で活躍する有名人とかも。
*東京の自然が好き。好み。
*街路樹もすごかった。東京の樹々のすごさは、私的には屋久杉をもしのぐかもしれない。もしかするとそれは、特に誰からも注目・崇拝されていないからなのかと感じた。


そういえば今回友だちと話していて、「あ!この感覚だ」と思ったことがあった。

彼は、もともと自然食のお店で一緒に働いていた仲間。
いまは独立してカレー屋を営み、もうすぐ一年になろうとしている。
一年やってみてどう?と聞いたときのこと。
「カレー屋はすごい!」と一言。
彼が言うには、カレー屋だから来てくれる人がいろいろでおもしろいのだと。
それを聞いてわたしは大納得した。
自然食のお店だと、来店するのはそういう傾向の人がほとんどだ。
その点、カレー屋には
学生、社会人、男女、外国人、大人子ども、とにかくいろいろな人がやってきてそれが楽しいのだと。

私は東京に同じ事を感じたのかもしれない。


屋久島と聞くと、関心のある人はそれぞれある特定のイメージを思い浮かべるだろう。
訪れる人は、そのイメージを元にやってくる。
屋久島の中で訪れるべき場所も、見ておくべき木も。
ここに暮らすことを選んだ人も。

そのイメージというのは、それぞれ異なるとは思うけど、ほとんど似通っているとも言える。

私も私の思い描くイメージによって屋久島に引き寄せられたのだけれど、
今度はそんなところから対極のグワーっと混沌とした場所へ飛び出したくなったのかもしれない。

混沌としつつも、澱んではいなくて、ものすごくクリアな東京に。
住んだらまたたくさんの事が見えて来るだろう。
一個一個それを自分自身で確かめたい、やってみたいのだ。
なにが正解でなにが間違ってるなんてないんだから、やりたいことをやる、そんな感じだ。


言葉にしてしまうと、ちっぽけなものに固定されてしまって違うものになってしまう。
この文も、読み返すとなにか違うものになってしまっているけど、これはこれでいいのだ。
と、思う。
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# by tsunagumono | 2011-02-03 10:41 | 日日